教育

ちゃんと「先生」になれたかな

4月へ向けて資料を整理していたら、1年目の私の授業に対するアンケートが出てきた。それも、私が半年で根を上げた学校の生徒からのアンケートが。正直に言って、もう見たくないし忘れたい記憶。でも、これは捨てちゃいけない、と思って置いてある。なぜなら、1人の生徒がこんなことを書いてくれたからだ。

「ちゃんと授業がしたいです」と。

確かに生徒にも問題はあった。学校側の目標設定も疑問だった。でも、そこで結果を残せなかったのは間違いなく私自身。いろんな意味で「プツン」と糸が切れ、最後は投げやりになっていた私に、この言葉は深々と刺さった。

でも、この言葉のおかげでわかったことがある。私はまだ「先生」ではなかったんだ、と。教員免許があるからでも、職場があるからでもない。目の前の生徒にちゃんと教えられる人が「先生」であり、そうではない人は「先生」ではないのだ、と。

今でも「先生」に向いているとは思わない。これから一生「先生」で食っていけるとも思わない。でも、せめてちゃんと「先生」になろう。目の前の生徒に教えられる人になろう。そうすることでしか、アンケートに答えてくれた誰かに報いることはできない。そう思って、これまでやってきた。

明日から立場が変わり、今まで以上の悪戦苦闘の日々がやってくる。あの子は「ちゃんと授業してるね」と言ってくれるだろうか。

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うまくいかなかった初ネタ

昨日はうまくいったネタを紹介したが、もちろんうまくいかなかったネタもある。今日は失敗した教材をご紹介。

村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチに関しては、いろんなブログで話題になった。そのスピーチの内容を使って、「情報操作」についての授業ができないか、と思い作ったプリントがこちら。

2種類のプリントをまとめて→「murakami.doc」をダウンロード

日本語訳は、「しあわせのかたち」というブログに掲載されていたものを使わせていただいた。感謝m(_ _)m

こちらで意図的にスピーチの文章をつぎはぎして、2種類のプリントを作り生徒に配布。感想を書かせたあと、情報操作についての知識や事例を押さえたあとで、感想を聞きながら与える印象の違い、について議論した。…かったのだが、今回は50分の中に内容を詰め込みすぎたようで、かなり消化不良。来年度への課題となった。

このネタもはっきり言ってパクリだ。もっとも、パクリ元の先生はもっと洗練された教材を使っていたようだが。村上氏のスピーチも、時期的な話題性はあったが、イスラエルとパレスチナに関する知識がどこまであるかによって、理解度も変わってくるので、教材としては高度なのかもしれない。もっとわかりやすい例を使ったほうがよさそうだ。

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うまくいった初ネタ

一応情報科に携わる人間のブログなのだが、今まで「どんな授業したのか」とか書いた記憶がないので、私が今年おろしたネタをいくつかご紹介しようと思う。…といっても、これも他の先生がやっているのを勝手にパクッただけなので、偉そうには書けないのだけど。

日本各地、読むのが難しい地名はたくさんあると思う。たまたま「大阪難読地名がわかる本」というのを見つけたので、大阪の地名を題材として、「情報の共有」をテーマにHR教室でできる実習を作ってみた。プリントはWordファイル。

生徒に配るプリント→「nandokuQ.doc」をダウンロード

先生が持ってる答え→「nandokuA.doc」をダウンロード

1コマ50分の授業として、流れは

1.内容の説明、プリントの配布:こういうことやりますよー、的な何か。5分。

2.個人で回答:まず個人で考えさせる。答えは2つあるカッコのどちらかに。自分が住んでいる地域や、通学路に入っているところは読めると思うが、それ以外は難しいはず。この時間は相談禁止。10分。

3.周りと相談:ここで「情報の共有」というテーマに。1人でわからないことも、他の人に聞いたらわかるかも。周りとどんどん相談させる。相談の結果わかった答えは、個人の答えを書かなかったほうにメモする。10分。

4.答え合わせ:全部こちらで答えるのではなく、知っている生徒に「共有」させるとけっこう盛り上がる。時間がかかるのでさくさくと。個人の答えと相談した答えを比較させる。15分。

5.まとめ:1人ではわからなくても、クラス全員の知識を集めればけっこうわかる。これをインターネットやWikipediaへと発展させて、「情報の共有」について実感させる。10分。

時間はあくまでも目安で。教材の使用・改変はご自由に。ただ、ちゃんと授業案を書いていないので、このネタを使った方はネット上に授業案を公表していただけると私がパクります(苦笑)

やってみての感想は、思った以上に盛り上がった、というところ。学校がある地域の周りにある地名を使えば、大阪以外でももちろんできると思う。…おぉ、何か情報科の先生のブログっぽいぞ。

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根っこは同じはずなのに

「教育立国フィンランド流教師の育て方」という本を読んで、ずっと考えさせられている。文化の違い、と言い切ってもいいのかもしれないが、教育に対するスタンスの違いを見せ付けられる感じだ。

フィンランドは、教育に対する姿勢がブレない。自分たちは若い世代に何を教え、どうあって欲しいのか、ということに対してきちんと合意がされている。だからこそ目指す教育が行えるいい教師を育てることもできるし、いい教師に教わった生徒が自分の力を伸ばすことができる。TOEICのスコアが下がった、といっては大騒ぎし、PISAの結果が悪いとフィンランドへ詣でる日本の教育界とは大きな違いだ。

フィンランドでは、「平等な教育」を目指していろんな努力がなされている。日本も、同じような理想を持って「義務教育」が行われているはずなのだが、様子はずいぶん違う。今の日本の義務教育は、「国民が最低限身に着けなければならない知識を身につける」場ではない。「人生において学校へ行かなければならない9年間」にしかなってないのではないか。

著者の言葉通り、フィンランドで特別な教育が行われているわけではない。やるべきことをしっかりやっているに過ぎない。さて、日本の教育はきちんとやるべきことをやっているだろうか。

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力を合わせるということ

今日も授業が終わったあと勉強会。テーマは「チーム学習」について、だった。評価が難しくなるので、私はあまり実際に授業で運用しようとは思わない。しかし、知識伝達型の授業では身につかない力が、チームで学習することによって身につくだろうことは想像できる。

「街場の教育論」を読み終わったこともあり、「タイプの違う人と協働していく能力」ということを学校教育でも考えていかなければならない、と思う。その一方で、かつてその役割は地域社会が担っていたような気もする。学校に役割を移すべきなのか、地域社会を再生させるべきなのか。正解は…とすぐに見つかるようなものじゃないわな。

今週は毎日授業したこともあるし、それ以外にもいろいろあったので少々疲れた。勉強会のあとの飲み会はパスさせてもらって、身体を休ませることにする。それではよい週末を。

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やっとつかめた間合い

さて、2008年度も残すところあと1ヶ月余り。数えられるようになった残りの授業について、どうまとめるかを考えなければいけないし、成績もそろそろ準備しておかなければならない。振り返ってみれば、やっぱりあっという間の1年だった。

1年近く今年の生徒と向き合ってきて、やっと「間合い」がつかめた気がする。我ながら情けないくらい時間がかかってしまったが、今生徒と接するのが一番楽しい。そして、最初からこうしていればよかったんだな、と反省しきり。

教育も、つまるところは人間対人間。相手とどう向き合い、どう合わせていくかが大事であるかということは、言われなくともわかっている。わかってはいるのだが、実際にできるかどうかが難しいところで。結局1年かかってしまった。

情報科では、基本的に1年間しかその生徒を教えることができない。2年、3年と教えられる他の教科が、その点ではうらやましかったりする。

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ちゃんと仕事してる?

私の勤務している学校は、中学校と高校が併設されている。情報科の私は当然高校で教えているわけで、中学校の状況はあまりよくわからない。しかし、あるとき耳にした中学校の先生の会話に唖然となった。

その先生曰く、学力最下層の生徒は、高校入試で他のどの公立高校へも進学できないような偏差値らしい。他の私立高校でも、おそらく入試で名前書いて出せば合格、レベルのところしか合格できないだろう。4月からそんな連中の面倒を見ないといけないかも、と思うとかなりブルーだ。

しかし、それって中学校としての仕事をちゃんとしていることになるのか?公立中学校より高い学費をもらって、公立高校へ進学できないような生徒を育てて、責任を果たしたと言えるのか?それは中学校の先生の怠慢ではないか、と私は思う。

もちろん生徒それぞれの事情があるだろうし、わざわざ中学校の先生と仲悪くなりたいわけではない。中学校に留年が存在しないことも、3年で卒業させざるを得ないことも重々承知している。それでも、ちゃんと教育する場所が中学校ではないのか。それができるから「教員免許」を持っているのではないのか。

中学校が「とりあえず上に進学してくれればいい」、高校が「あと3年学費を払ってくれればいい」というような考え方をしているようでは、この先私立の併設校は必ず淘汰される。いただいている学費に見合うだけの成果を出さなければ、仕事とはいえまい。そして、教育のプロフェッショナルとはいえないのではないか。

えらそうに書いているが、私自身できているかといわれるとつらい。しかし、教育の「コストパフォーマンス」に関しては常に頭に入れているつもりだ。最早「学校だから」つぶれない、なんて世の中ではない。学校の教員全員が、きちんと成果を出さなければ何も好転しないだろう。

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効果ないよ、きっと

文部科学省は高校の英語の授業を英語でさせたいらしい。本当にできると思っているのなら、現場を知らない人間なんだろう。現状では、まったく効果のない話だと思う。その理由は2つ。

1つ目。現場でオールイングリッシュの授業ができる人間がいない。2つ目。英語の授業や説明を聞き取れるだけの力が中学卒業時点で備わっていない。そして、この2つの理由を生んだのは、大学受験において、文科省のいう「使える英語」が求められないから、というところへ収束する。

特に私学はそうだが、主要5教科の教師に求められるのは受験対策だ。そして、大学受験においてリスニングの配点は大きくない。まして英語での面接があるわけではない。結果、日本語でしっかりと解説・指導できる教師が英語を教えることになる。

また、偏差値の高い生徒はオールイングリッシュでも対応できるかもしれないが、そういう生徒こそ受験に関係のない労力を嫌う。そして、偏差値の低い生徒は英語力が中学卒業に満たない。つまり、「英語で英語を教える」ことは、今のところ誰にもメリットがないのだ。

今の受験システムが存在する限り、高校で何を学ぶかは大学受験が決める。高校の授業内容を変えたければ、大学受験を変えるしかないのだ。文科省は今回発表された指導要領にそった受験にしたいようだが、順序が逆。そんなこともわからないのかねぇ。官僚である自分たちは大学受験を勝ち抜いてきたというのに。

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珍しくテレビの話題

今夜は珍しくテレビをずっと見ていたのでそれをネタにしよう、と思っていたのだが、日テレでやってたローマの番組は正直微妙、だった。ジローラモさんの演技はよかったかも。

ローマ好きのゴッドマザーがうたた寝している隙を見て、「カンブリア宮殿」をチェック。今日は全女子校関係者必見でしょう。というか学校関係者全員だ。「心のスイッチを入れる」工夫ができているかどうか、私の勤務校でも考えてもらいたいものだ。

これまで学校は、「教育」の名の下に生徒を社会からある種「隔離」してきた。それは決して間違いではないのだが、学校という限られた環境の中だけではすべてを解決することはできないのも事実。生徒は社会から「保護」されるべき年代ではあるが、「隔離」するだけではこれから自分が出て行く社会をイメージできない。品川女子学院の校長先生流に言えば「スイッチが入らない」のではないだろうか。

学校が学校の中だけを見ていればいい時代は終わった。これからは、生徒に目標を見つけるチャンスを提供することを第一に考えるべきではないだろうか。ゴールが見えないものに、いくら「がんばれ」「勉強しろ」といっても伝わらない。ゴールが見えていれば、誰に促されるわけでもなく走り出す力は、すべての子どもが持っている。

往々にして教師は、外部との接触を避けようとする。しかし、教育現場の人間では伝えられないこともあるのだ、という謙虚な気持ちを持って、外部の有識者を招く努力が今後求められるだろう。それができた品川女子学院は人気を集め、今後もできない学校は消えていくだろう。

羽中田さんについても書きたかったが、これ以上長くなってもイヤなので今日はこれでおしまい。

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伝わらないものだけど

いくら努力しても、話している内容がすべて生徒に伝わっている、とは思わない。そもそもコミュニケーション自体、100%の理解を得られるものではない。基本的に私は「話せばわかる」とは思っていないが、それでも「わかろうとする」努力はしましょうよ、というスタンス。だから、授業もできるだけ「わからせようとする」努力はしているつもりだ。

以前見学させていただいた授業で、ものすごい情報量で圧倒していた先生がいた。膨大な量のスライドを、ものすごいスピードで見せて、生徒に話し続けていた。その努力と熱意はすばらしいと思うが、聞いているはずの生徒からは、集中している様子は見られなかった。

話せばいい、というものではない。見せればいい、というものでもない。時に言葉がなくても成立するのがコミュニケーション。教師の先輩に向かって失礼だが、「時間と労力の無駄だな」と思ったのを覚えている。量で圧倒しても、自己満足で終わったら意味がない。もっと少ない情報で、もっと相手に伝える方法があるはずだ。

とはいえ私も、「伝えられない」ことに絶望した時期があった。「しゃべっても無駄なんだ」と一人の世界に閉じこもっていた時期もあった。でも、今は違う。きちんとコミュニケーションを捉えることができるようになったのが、大人になった、社会人になったということだと私は考えている。

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じぇねれーしょんぎゃっぷ

授業で著作権を扱おうと思ったら、ちょうどいいタイミングで小室さんがやらかしてくれたので(苦笑)、ネタに組み入れさせてもらっている。ところが、相手は中学生。「小室サウンド」に触れずに育っている年代なので、話がかみ合わない。

TMNはもちろん、globeすら知らないのが当たり前。そのことからも、最近活動がうまくいっていなかったことがよくわかる。私が中高生だったころはトップ10のほとんどがプロデュース作品、というのが普通だったんだけど。

「小室哲哉知ってる人は?」と聞いたところ、1人だけ手を上げた生徒がいた。「MyRevolution作った人やろ?」って、お前発売されたあとに生まれたのになんで知っとるねん?!

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6年一貫教育への疑問

最近公立校でも中高一貫教育が人気だそうだ。以前「私は疑問に思っている」と書いたような気がするが、改めて考えをまとめてみたい。

まず、「中高6年分の内容を5年でやり終えてしまい、6年目は入試対策に専念する」という計算が、すべての生徒に認識させることができるのだろうか。はっきりいってこれは大人の計算であり、生徒たちは「入試が一回へってラッキー」くらいにしか感じていないように思える。

大人だって、「今から6年後に向けてがんばりなさい」といわれてやる気が出る人は少ないだろう。やっぱり人間目の前に課題が迫っていないとやる気が出ないのも真実で、遠い未来を見据えて今課題に取り組めるのは極めて優秀な一握りの人間だけだ。

つまり、6年一貫で生じるメリットを理解し実行できるのは学力上位層の生徒のみで、それ以外は向かうべき目標を見失いがちではないか、というのが私の主張だ。つまり、6年一貫で学力が伸びるのは中学入試時点での成績が優秀な生徒であり、ぎりぎりで合格した生徒の学力はむしろ伸びにくいのではないか。

だいたいこの手の学校はクラス編成を成績順にしているので、それも影響しているかもしれない。特進クラスの生徒は伸びるが、特進クラスに入れなかった生徒はそこで自信を失い、学習に対する意欲も消える。そうなるとあとはずるずると学力は下がり、イヤでも取り組まなければならないはずの高校入試がないため、強い動機付けがないまま大学入試まですごしてしまう。

本当にエリートを育成するなら、6年一貫は有効かもしれない。しかし、今の日本では6年間学費を払い続けてほしいがために6年一貫を導入しているような学校もある。よほど優秀な生徒を集めない限り、学校全体として6年一貫が成功するとは思えない。私学だから、6年一貫だからいいという考え方は改めるべきだろう。合格ラインを見て、何より通う生徒を見て、はっきりいって優秀ではないのなら、高校入試を経験した方が経験もつめるし、力も伸びると私は考えている。

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いいプレゼン=いい授業?

アップルの社員にキーノートの使い方を教わる機会があった。そのときデモンストレーションとして見せてもらったプレゼンや、スティーブ・ジョブズのプレゼンなどを見ていると、確かにきれいでわかりやすい。でも、同じやり方を授業で行うわけにはいかないと思った。

ジョブズのプレゼンは、「感情を動かす」ことに力点があるように感じられる。できるだけ画面をシンプルにし、文章量も極力少なくすることで、伝えたいメッセージを強調させる。さらにせりふで何度も繰り返す。その結果「Macってすげぇ」「iPhone欲しい」「アップルヽ(´ー`)ノマンセー」となれば成功…だと私は考えている。

学校現場でプレゼン、というと板書の代替として考えられることが多い。そこでは「感情を動かす」必要はない。「解答方法を伝える」ことがメインだからだ。その視点に立つと、どうしても文章量が多くなり、画面で構造を示したくなる。教師は「すげぇ」で終わってもらっては困るのだ。よく似た問題を「解ける」ようになってもらわないと。

板書の代替品、ではない使い方というと、ちょっと思いつかない。実習で生徒にやらせる場合は別にして、企業における「プレゼン」と学校における「授業」は、同じようでやっぱり違う。…ってすごく考えたみたいだけど、当たり前っちゃ当たり前だな_| ̄|○ il||li

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勉強せよ、若人たち!

今日は月に一度の勉強会。さまざまな学校のさまざまな教科の先生が顔を合わせた。もちろん勉強だけではなく、その後にアルコールが入るのが恒例なのだが。そこで「日本の若者はやばい」という話になった。

インドや中国が単なる生産工場ではなく、知的労働者を排出する国になりつつある。韓国はすでに日本より厳しい受験戦争が続いているし、ネパールでも英語ベースの教育が行われているそうだ。天然資源を持たない日本は、今後も知的労働で利益を上げねばならないはずなのだが…。

「とりあえず大学行っとくかぁ」という日本の高校生は通用しない社会が、世界に広がりつつある。さて、どれだけの人間が気づくだろうか。使うテキストの量が、そもそも違うことを。このままでは、確実に日本はアジア諸国に追い抜かれる。

でもきっと、危機感なんてないんだろうな。今は生活できているもの。追い抜かれたそのあとに立ち上がることを考えたほうがいいのかもしれない。慢心は、冷や水をぶっ掛けられて初めて消えるものだ。

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自由在不自由中

8月も下旬。さすがに「猛暑」という感じではなくなってきた。今日はエアコンなしでも、窓を開けておけば眠れそうだ。文明の利器も、天然の涼風にはかなわない。

ネットで注文した「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」が今日届いたので、早速読んだ…のだが、あまりの面白さにそのまま読みきってしまった。一万円札でしか接点がなかった偉人の足跡を改めて知り、その熱意に感動した。

自身の業績のみならず、慶応義塾門下生の活躍を見ると、「人脈」ではなく「山脈」と名づけられたのもうなずける。明治維新という時代の大きな転換点に、日本がこのような「知の巨人たち」を持ちえたのは幸運だったのか。それとも必然だったのか。

さて、私も私学教育に連なる一講師だが、果たして今の私立学校が「国を支えて国を頼らず」という矜持を持っているだろうか。国からは補助金、生徒からは授業料、保護者からは寄付金をもらうことばかり考えてはいないだろうか。人間は人間が教えるしかない。教育に課せられた使命は、今も昔も重いものだ。

「自我作古(われよりいにしえをなす)」という言葉を福沢が好んだとは知らなかった。私は谷川浩司九段の揮毫で知っていたのだが、いわれてみれば福沢さんにぴったりだ。もう一つ、タイトルにもした「自由在不自由中(自由は不自由の中に在り)」という言葉も好んでいたようだが、これまた名言。面接とかで聞かれたら、今度からこれを「座右の銘」ということにしよう。

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なぜ勉強しないといけないの?

さて、よくあるこの質問。「学校の勉強は大人になって役に立たない」のに、なぜ「学校の先生は勉強しろと言う」のか?私もよく生徒に「勉強しろ」と言ってきた。織田先生のせりふを批判するだけではアンフェアなので、私の考えもまとめておきたいと思う。

高校生にとっての勉強は、受験生は特に、脳みそというハードディスクに情報をとにかく書き込んでいるような状態だと思う。とにかく詰め込め、インプットしろと言われることに意味を見出せないと思う。しかし、私たちはコンピュータではないし、脳みそはハードディスクではない。

脳みそはハードディスクのように一度で覚えないし、よく忘れる。しかし、もう一つハードディスクとは違う働きがある。それは「覚えた知識を結合する」という現象だ。

人間が何かをひらめくときは、「今までに獲得した知識」を「今まで気づかなかった組み合わせ」にすることだ、といわれている。つまり、獲得した知識が多ければ多いほど組み合わせの数も増え、新しいことをどんどんひらめくことができるようになるのだ。

そういう意味では、してきた勉強が無駄になることはない。確かに、微積分や化学式が直接関わってくる仕事は少ない。しかし、意識しないところで、今までの知識の蓄積が自分の力になっている。そういう風に私は考えている。

学校というのはそういう「頭の貯金」を増やすための場所なのだ。カリキュラムも、実にバランスよく考えられている。ま、「バランスがいい」ということは「興味ない分野もある」ということになるので、それが生徒にとっては苦痛なのだろうけど。

ということで結論。「勉強したことは確実に力になるから、しといたほうがいい」と私は考えている。ただ、実際に勉強するかしないかはあなた次第。それでもイヤなら学校に行かなくていいと思うよ。勉強する気もないのに学校に来ている、というのが個人的には一番困るのでね。あ、中学校まではイヤでも行くように。一人前になるための儀式と思え(苦笑)

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脚本に???

さて、そろそろ2学期も近いということで、「太陽と海の教室」でリハビリ(苦笑)することにした。もうすっかり「先生」という意識は消えちゃってるからねぇ。今日初めて見たのだが、今回のテーマは「勉強の意味」について、だった。熱血織田先生がどのようにオチをつけてくれるか見させてもらったのだが…私には???だった。

「学校の勉強は、大人になって役に立たない」というのは正しい。「5教科の試験で、教師は生徒より得点が低い」というのも同意する。教える教科以外の解答テクニックは、どんどん忘れるものだから。しかし、ハチドリの話はどうなんだろう。

「学校の勉強に意味はない」と知り、「自分のやりたいことは他にある」と思っている生徒に対し、「自分にできることをやれ」というアドバイスは、「受験勉強を放棄し、今ある青春を楽しめ」という風にも解釈できるのだが。副担任の北川先生にわざわざ問題作らせて、いいことも言っているんだけど、そのあと受験戦争に再参戦するわけで、つながりがよくわからない。

まぁ悩んでいた生徒は付き合っている彼氏の「よくあるデートはしてないけど、一緒に勉強することが僕たちの大切な時間だよね」というせりふで説得されていたとすれば、その後の行動も納得できるんだけど。そうするとわざわざみんなでテストを受ける必要もないわけで、やっぱりあのシーンはよくわからない、ということになる。脚本として本当に必要だったのか、私には疑問だ。

最後の授業時間数の話は、ちゃんと実施されていない教科No.1の情報科講師としてはリアルに笑えない。私も実際に尻拭いしたことがあるし、ここには書けないような内情も知っている。ここら辺、うまくドラマとして消化すれば、今の高校が抱える問題を明らかにするいいチャンスになるのだが。

このままだと「学校の先生が勉強しなくていいって言ってる」ということになるので、次の記事で私にとっての「勉強」についてまとめたいと思う。

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担任力

私は授業のときしか生徒と接することはないのだが、生徒を見ていると担任の先生がどういう方針なのかがうっすらとわかる。それくらい、生徒に与える影響は大きいと思うし、やりがいもある仕事だと思うのだが。やっぱり力量の差も出てしまうのが現実だ。

あくまでも私の主観だが、「規律とポジティブさ」を兼ね備えたクラスは、授業しててもしやすいし、学力としても伸びているのではないだろうか。先生の言うことを聞くだけではだめで、規律を踏まえつつ自分で何かをしようとする意識が重要だと思う。

規律だけを押し付ければ覇気のないクラスになるし、ポジティブさだけを重要視すれば収拾がつかなくなる。うまくバランスをとることができる先生が、「いい担任」だと私は思う。そして、そういう担任に早い時期に出会っていれば、その生徒は将来的にいい進路へ進んでいくのではないだろうか。

保護者の方は「今年は当たり」とか「ハズレ」とかうわさしているそうだが、それはしょうがないこと。「我が校の担任は全員当たりです!」と言い切れるように、自らを高めていくしかない。

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授業するのが下手な人は

最近「コーヒーメロンパン」にはまっている。普通のメロンパンも嫌いではないのだが、何か違うフレーバーが欲しいのだ。昔は「ココアメロンパン」ってのもあった気がするのだが。この「コーヒーメロンパン」は、ちゃんとコーヒーの香りもするし、外もサックリでおいしい。ただ、朝食に食べると「コーヒー」と「コーヒーメロンパン」になるのが変な感じ(苦笑)

さて、非常勤の私にも教員免許の更新について、いくつか書類が届いた。残念ながら優秀ではない教員がいることは事実だし、その現状を何とかしなければならないのもまったく同意。だが、果たしてこの更新制度が、日本の教育の質を高めてくれるのかどうかは、ちょっと疑問だ。

ある先生がこんなことを言っていた。「今度の免許更新制は意味がない!授業するのが下手な人間は、授業を受けるのは得意なんだから!」まったくそのとおり、だと思う。授業を受けることと、授業することはまったく違う。講座を受けるだけで教育力が上がる、と思っているのなら大きな間違いだ。

今どの学校でも教育実習が行われていると思うが、教育実習の期間も含めて、教員を養成するための仕組みについて、もう一度考える時期に来ているのではないだろうか。いい先生なくして、いい教育はないのだから。

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スラックスどうでしょう?

今日も制服の話。最近女子の制服でもスカートとスラックスを選べるようにしている学校が増えているらしい。確かに動きやすいし、防寒性にも優れていると思う。冬の寒い時期、がんばってミニにしている女子高生もいるが、見ているこっちが寒い。選択できるような学校が、今後増えていくだろう。

ただ、「機能性」とか「利便性」で判断しないのがこの年代の女子なんでねぇ。男の私にはまったく理解できないこだわりがあったりするので、急速に普及していくとは考えにくい。例えば「スラックスは足が太く見えるからイヤ」とか。太い足はスカートはいてても太いものでしょうが(苦笑)

ちなみに私の勤務している女子高へは、スラックス制服は導入してもらいたくない。スカートでも悪い足癖が、ますます悪くなりそうだ。古い考えといわれるかもしれないが、やっぱり女性の大また開きはげんなりするんでね。周りが女だらけで油断する分、スカートの「緊張感」は持っていてもらいたいところだ。

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「情報」関係のニュースがこのざま

教科「情報」に関してのニュースを検索してみたら、トップに出てきたのは授業中に女子生徒のスカートの中を盗撮していた非常勤の話。同じ立場にいる人間として、恥ずかしいやら情けないやら。小型カメラとパソコンをつないで録画、ということは情報科の人間なら簡単にできるだろう。でも、三十路を越えて「できることとやっていいことは違う」ということすらわからなかったのか。

私の職場の一つは女子高。実習機材としてWebカメラがあるし、動画編集ソフトも用意されている。盗撮しようと思えば初期投資ゼロでできるのだが、やりたいとも思わない。苦労してまで見たいものじゃないしねぇ。どうせならそういうAV借りてきた方が生徒よりもかわいいし(以下検閲削除)

そもそも女子高生のスカートはのぞくものではない。私の経験から、指導のしやすさとスカート丈は、相関関係にある。生徒と接する時間の短い非常勤ならなおさら、そういうところからも性格を推察し、指導方法を考えないといけない。一男性としてならば、若い女の子の生脚を見て興奮していればいいのだろうが、こっちは視点が違うのである。「仕事する」ということは、そういうことだと思うのだが。

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義務と権利と

Yahooのトピックスを眺めていると、「千葉のある県立高が入学金未納の生徒を入学式に出席させなかった」というニュースが出ていた。私は私学の講師だが、学校側の対応は正しかったと思う。県の教職員組合の「非教育的対応」にはあたらない。

いくつかの新聞の記事を比べてみたが、どうやら学校側は事前に説明し、分納も可能であることを伝えたようだ。それでもなお生徒に持たせなかった、というのは完全に保護者の責任。第一、義務教育ではない高校に入学する「権利」は、入学金支払いという「義務」を果たして初めて発生する。「義務」を果たさなかった以上、別室で入学を認められても文句は言えない。

さらに、読売新聞の記事では、「入学金を支払わなかった場合、県の条例で入学させることができない」とのこと。条例を捻じ曲げてでも入学させることが、本当に「教育的対応」なのか。私はそうは思わない。例え条例がなかったとしても、入学は認められない、というのが筋だろう。

毎日新聞の記事では、ある識者が「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけではなく、生徒、保護者に謝罪すべきだ」(記事より引用)とコメントしている。この人は、条例で定められていることを理解したうえで発言したのだろうか?県の定めたルールを守ることを「機械的、官僚的」と批判し、ルールを守った側が「生徒、保護者に謝罪すべき」と主張しているのだろうか?私にはまったく理解できない。

教育のみならず、最近のこの国は「権利」だけが大きく膨れ上がっているような気がする。「権利」の裏側には「義務」がある。どちらも見失わないように生きていきたいものだ。

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「特進」インフレ

そろそろ行事も一段落し、通常授業が始まりつつあるのではないだろうか。新入生はなかなか新しい環境になれないだろうが、早く自分のペースを見つけてがんばって欲しい。

そんな新入生を迎える学校についてだが、最近「特進」という名前のついたコースが増えたなぁ、と思う。もちろん私立学校の話だが。私が高校生だった頃には、「特進」コースは1~2クラスほど。残りの7~8クラスは「進学」コース、という感じだった。

それが今では、単なる「特進」コースのみならず、「○○特進」コースが併設されたり、そもそも「特進」コースのクラス数が増えたりしている。中には、全てのクラスが「特進」と名のつくコースの学校も。そこまでされると、かえってありがたみ(?)がなくなるような気がするのだが。

「ゆとり教育」路線の変更により、改めて今大学進学に対する期待は高まっている。「全クラス特進だから…」という理由で志望校を決める人はいないと思うが、イメージって怖いからなぁ。どうも本来の意味よりインフレしているような気がするので、新小6生、中3生はよく考えて決めるよーに。

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思ってもいい、声に出すな

近年の「ゆとり教育」への不安からか、私学の中学校を受験する生徒が増えているらしい。私学で働く身としてはありがたい話だ。が、根っこに「教育不信」がある以上、のんきによろこんでいる場合ではない。保護者の期待にこたえるのはもちろんだが、「人財」と呼べるような日本人を育成すべく、教育関係者は努力しなければならない。

私が見た記事では、公立学校の校長先生の声も掲載されていた。曰く、「私学に優秀な生徒を取られると、公立の授業がしんどくなる」。確かにそうだ、私も現場で身をもって経験している。でも、それは教育のプロとして声に出してはいけないのではないだろうか。

先の校長先生の意見が正しいなら、公立学校の先生は生徒が優秀でなければ教えられない、ということになる。それって免許制に値するほどの仕事なのか?誰だって意欲も学力もある生徒を教えたいに決まっている。でもそうじゃない生徒がいるのも現実。どうやったら興味を持ってもらえるか、よりわかりやすくなるか、を日々考え、実行できるのが本当の教師でしょう?そこを飛ばして「優秀な生徒の取り合い」であるかのような発言は、私には理解できない。

私の知り合いにも公立学校の先生がいる。たまに会って話を聞くと、本当に大変な仕事のようだ。それでも、彼らは「生徒がかわいい」という。公立だからってあきらめてなんかいない。だからこそ、管理職の人に「生徒の質が悪いと…」みたいな発言はしてもらいたくない。心の奥底で思っていても、言葉に出してもらいたくない。

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成績に容赦はしない

もうすでに成績はすべて出し終えたのだが、別件で出講したとき、担当クラスの担任の先生にちょっと呼び止められた。どうやら、ある生徒の情報の成績が他と比べてとても悪いらしい。センター試験や大学入試で出題されないとはいえ、2単位の必修科目であることに違いはない。推薦を狙っているような生徒にとって、情報で評価を落とすのは痛いだろう。

自覚していることだが、私の評価は他の情報担当者に比べてかなり辛い。試験の点数が悪かったり、提出物が出ていなかったりすると容赦なく減点する。とはいえ、それは「当たり前」の話じゃないだろうか?評価して欲しいのなら、それに見合う努力と結果を残して欲しい。努力と結果がめんどくさいなら、低い評価を受け入れるしかない。どちらを選んでもご自由に、ただし最低ラインはクリアしてもらうよ、というのが私のスタンスだ。

私が評価するということは、その生徒の「情報」に関する能力を担保する、という意味でもある。もちろんわかりやすく教える義務もあるが、それでも最低ラインを突破できない場合は、留年させてでも教えるのが本筋だと私は考えている。前にも書いたと思うが、実際に私に習っている生徒は覚悟しておくように。どんな学校のどんな生徒であれ、私は成績に容赦しない。

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数字合わせではない

ネットサーフィンしてると、「教員定数の増員一部容認へ」という記事を見つけた。宮崎だけではなく、教育も「どげんかせんといかん」のはおそらくほとんどの人の共通認識だと思う。ということで、公立小中学校の先生の数が増える、というのは歓迎したい…ところなのだが、記事を最後まで読むとむしろ政府に対する疑問が浮かんできた。

そもそもなぜ教員定数を増やすことがニュースになるのか、というところだが、これは「行政改革推進法」という法律があるからだ。この法律では、公務員の数を減らしてスリムにしていこうという方針のもと、数値目標が設定されている。公立学校の先生、つまり教育公務員も、「07年度から5年間で1万人純減」しなさい、という風に決まっている。

余分な公務員を減らそうというのはいいことだが、はたして今学校の先生を減らすことにそれなりのメリットはあるのだろうか?授業のみならず各種分掌をこなし、生徒指導から保護者への対応まで、私立のみならず公立の先生たちも実に多忙だ。さらに、文科省は免許の更新制や授業時間の増加など、先生たちの負担をさらに重くしようとしている。人数は減らしますが成果はあげなさい、というのは矛盾した要求だろう。

この記事の内容も、とりあえず08年度は増やすけど09年度からまた減らしますよ、と言っている。今、日本という国は本当に教育に対して投資するつもりがあるのか?私にはとてもそうは見えない。「学力低下」と騒ぐだけの奴はもういらない。「では改善するために何をしなければいけないのか?」ということについて真剣に議論し、血税を投入できる政治家が本当に必要だと思う。資源の乏しいこの国は、教育力が落ちたら競争できなくなるよ。

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放課後補習の問題点

実習が義務付けられている情報科において、どうしても出てくるのが期限までに仕上げられない生徒の問題。他の教科から授業をもらうのも難しいし、かといって実習点をゼロにするわけにもいかない。基本的に、昼休みや放課後に対応することになる。

では、放課後に実習室を使っている生徒を、誰がチェックするのか?専任・常勤の先生方は校務やクラブ指導があって付くことは難しい。実習助手的な人がいればいいが、そこまで予算に余裕のある学校は少ないだろう。残る可能性は、私のような非常勤講師になる。

ただ、非常勤がどれだけ放課後の面倒を見ても、給与や待遇が変わるわけではない。完全なボランティア扱いになる。そんな状況で、「生徒のため」と割り切って付き合える講師がどれだけいるのか。契約上は、正規の授業が終われば即帰っていい立場の人間だ。そんな私たちに、あんまり期待されても困る。

私自身は、放課後残ることに抵抗はない。専任・常勤の先生には、専任・常勤の先生しかできない仕事がある。非常勤にも、非常勤にしかできない仕事がある。それぞれができる仕事をやって、結果教科が、学校がスムーズに運営できるのならそれでいい。私しか相手ができないのなら、できる私がやればいいだけの話だ。

しかし、学校の先生が生徒の相手をできない、という現状についてはおかしいと思う。もっとフルタイムで働く教員を増やし、生徒からの質問や放課後の補習に対応できるようにするべきだと思う。もしくは、校務の専門職を新たに作り、その分教員の負担を減らすべきではないか。いずれにせよ、さらなるお金が絡んでくるので実現は難しそうだが。非常勤を増やすことで解決したと思うのは、私は間違っていると考えている。

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もう一度、結果を公表すべきという

全国一斉学力テストの扱いについて、私は以前結果をすべて公表すべきだ、と主張した。ところが、文部科学省は「過度の競争を生む」との理由で、各学校ごとの結果は公表しないようにと通達した。はたしてそれで、テストを行った価値はあるのだろうか。

テストを行うということは、当然点数による序列が生じる。文科省の仕事としては、いい結果の学校の取り組みを奨励し、悪い結果の学校には何らかの手当てを講じるのが当然だ。また、今回のテストの結果は、民間を含めてすべての研究者に提供され、今後の日本の教育を考える基礎データとすべき。しかし実際には、結果が振るわなかった学校に対する取り組みも聞かないし、民間に公開されたという話も聞かない。

Webの片隅にある当ブログだが、もう一度いわせてもらう。「テストを実施しただけで満足していないか?」テストの結果を踏まえた次の施策こそ重要なのであって、倉庫に積むだけの書類を増やすのは意味のない仕事。77億円といわれる実施費用に見合うだけの行動を、文科省は示して欲しい。

ちなみに栃木県宇都宮市は、各学校ごとの結果も来年4月に公表するそうだ。今結果が悪いことは問題ではない。次につながる改善策を見出すことこそ、学校が求められていることである。今後さらに、公表する自治体が増えることを強く希望する。

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授業を共有するということ

新しい授業を作るということは、作った自分ができて完成するのではない。それを他の先生にやってもらえる状態まで内容を詰めて、他の先生と内容を共有できて初めて完成といえる。ある先生からそんな話を聞いた。それ以来、ずっと頭の片隅にこの言葉があった。

情報という教科は、教科書の内容に縛られることなく授業を展開することができる。これは私が情報科の講師になった大きな理由なのだが、その一方で授業担当者の力量に左右される部分も多い。統一された教科として、ボトムラインを共有することは情報科においても必要で、そのためにどうすればいいのか。このことに関しては、あまり有効な手法を見かけない。

文化として、あまり他の先生の授業に口を出さない、というのがこの業界にはあるようだ。しかし、学校の先生だからこそしっかり守らなければならない一線があるはず。その教科を1人で担当しているなら別だが、複数で担当しているならしっかり授業を共有する意識が必要だと私は考えている。

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中高一貫教育に対する疑問

世の中では中高一貫教育に対する期待が高いようだ。公立学校でも6年間通しての教育が可能になったということで、各地にさまざまな一貫校が設立されている。また、私学でもよりいっそう中学校と高校の連携を高めたりとか、コースを分けるなどして一貫教育ができるよう変わりつつある。

中高一貫のメリットの一つは、高校入試をしなくてすむ、ということがあるだろう。生徒側とすれば、しんどい試験を受けなくてもいいし、学校側としては一度入った生徒は6年間授業料を払ってくれる、ということで生徒数が安定する。ただ、高校入試ってやらない方がいいのかな?

授業担当者の視点だが、私学における中高一貫組と高校入試組を比較すると、高校入試組のほうが成績がいい場合が多い。また、授業に対する集中度も高校入試組のほうが高い。6年間という長いスパンでちょっと緩んでしまう中高一貫組に対し、入試を突破して緊張感もある高校入試組のほうが授業はやりやすいのだ。

もし中高一貫教育が効果的なら、中学3+高校3の今までの進路を経た生徒より優秀であることを証明しなければならない。それを学力のみで語るのはアンバランスだとは思うが、私は6+3+3のやり方は学力に対して効果的だと思っている。結果が出るのは5~6年先。どんな生徒が卒業していくのか、楽しみではある。

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やっぱり特殊技能

学校の先生ではなく、一般企業の人に来ていただいて生徒に直接教えてもらおう、という試みがある。今現在の最先端で働いている方々の話は、生徒にとっても楽しみのようだ。いつもの先生の話ではない反応をしてくれる。また、進路を考える上でも大きなヒントになるだろう。企業の方には負担になるかもしれないが、これからどんどん学校にも来ていただいて、現場ならではのエピソードを伝えていただきたいものだ。

ただ、実際に企業の方に授業していただく、となると入念な打ち合わせが必要だなぁ、と思う。16~18歳の集団40人をコントロールするのは、やっぱり特殊技能なのだ。普段大人を相手に働いている方は、生徒相手に抑えるべきポイントを(当然ながら)ご存じない。そのせいで、せっかくのいい教材や実習の効果を損なってしまうことが多い。教員側も授業案を用意するなり、当日のサポートの仕方を考えるなりしないと、なかなかスムーズにはいかないだろう。

以前に見せてもらった授業では、企業の方が1年目の私に見えた。きっと私も、最初は注意すべきポイント、効果的な言い回しができてなかったのだろう。教員には経験が必要なんだなぁ、と実感するとともに、それを他の人にもわかるようにしていく努力が求められると思った。企業の方にいつでも来てもらえるような、開かれた意識を持っていかないとね。

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60点の意味

私にも直接関わってくる教員免許更新問題。講義を受けるだけではなく、最終的に筆記もしくは実技の試験を受けて、60点以上取れなかったら不認定になるそうだ。仕組みそのものは決して悪いとは思わない。問題は、尺度をどのように設定するか、だ。

例えば実技試験の採点は誰が行うのか。どのような観点で評価するのか。配点は妥当なものなのか。筆記試験にしても、それが今後の教育活動の質を高める、というものでなければならない。そんなペーパーテストを作れるのだろうか?どうもきれいごとすぎて、本当にできるかどうか怪しい感じがする。

一人の人間を評価する、というのはとても難しい話だ。教師のケツが叩かれることは受け止めなければならない。しかし、余計なことで時間やお金を取られるのは、国家の損失だ。やる以上は、日本の教育をよりよいものにしていく試験であって欲しい。それなら私は、喜んで受講する。

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デジタルないじめ

私が授業をしているクラスでも、どうやら嫌がらせのメールがきっかけで、不登校気味になっている生徒がいるようだ。女子生徒間の問題で、容姿に関する悪口を送られたとの事。残念ながら、この手の話は珍しいものではないようだ。陽の目を見ていないだけで、実際はもっと数多く問題があるように思えてならない。

今までは、ネットの世界を自力で泳いで欲しいと思っていたため、フィルタリングソフトなどの導入には否定的だった。しかし、現実にメールでの脅迫の結果亡くなった高校生がいることを考えると、何らかの方法を考えるべきだと思うようになった。

インターネットは、とても便利なものであると同時に、責任を持って扱うべきものでもある。高校生たちの認識を見ると、甘いと言わざるをえない。そんな彼らのために教科「情報」は誕生したともいえる。どのようなアプローチで啓蒙していくのがいいか、悩ましいところだ。

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信じて、信じない

不幸にも自殺者を出してしまった神戸の私立高校でのいじめについて、今になってさまざまな事実が明らかになってきている。今月になっても「いじめはなかった」と学校側は説明していたので、何とかなかったことにしたかったのだろう。この対応ではむしろ、世間からの非難を受けると思うのだが。

いじめというのは、どんな集団にも起こりうると私は思っている。実際、教室だけではなく職場でもいじめはあるのだから。大人も自ら命を絶つことがあるのだから。「起こってはならない」ではなく、「起こったときどうするか」こそ、その学校の本質が問われるとき。まず、全国の学校にいじめがあったことを認められる学校になってもらいたいと思う。

授業中に、今回の事件について少し触れた。「ひどーい」「ありえない」など、否定的な反応だったことに一安心。しかし、私の目の前にいる生徒の背中にも、同じようにネットの闇が存在している。そこで何が行われているのか、今の私には知る術がない。今回のような事件は、どこの学校でも起こりうるのだ。

「教師は生徒を信じる」、当たり前のことだ。しかし、生徒を盲目的に信じろ、というのは現状に即していない。今の教師には、生徒を信じない部分も必要なのではないだろか。私は本気でそう思っている。

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夏休み最終日

曜日の関係上、今日が夏休み最終日になる。中学生の頃の私なら、ここぞとばかりに宿題を片付けているだろう(苦笑)9月1日が休みになるだけで、かなり得した気分になったものだ。ただ、当たり前の話だけど、宿題は全部自分でやったし、間に合わなかったら怒られて当然だと思っていた。

今では宿題を代行してくれる業者まであるそうだ。そんなことビジネスにするなよ、といいたいところだが、需要なきところには供給はない。はて、小中学生に代行をお願いするような経済力があるのか?と思っていたら、どうやらお願いしているのは親のようで。そんなことでは学力は身につかないということ、わかってもらえませんかねぇ。

「怒られる子どもがかわいそう」なのかもしれないが、「宿題が片付いていない」ことを怒るのが保護者の仕事じゃないのかね。ちゃんと最後まで、自分でやらせるのが保護者のする教育じゃないのかね。

別に教師だって嫌がらせで宿題を出しているのではない。夏休みの間の学力維持・向上を狙って作っている。そこを踏まえたうえで、家庭でも子どもを教え、育んでほしい。子どもは、周りにいる全ての大人を見て育つもの。良くも悪くも、ね。

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テスト結果の非公開ってどういうこと!?

春に行われた全国学力テストの結果について、文部科学省は各教育委員会に対し、「序列化につながる」ので市町村別や学校別の結果を公表しないように求めたそうだ。はぁ!?というのがこのニュースを知った私のリアルな第一声。いったい文科省は何のためにわざわざ全国でテストをしたんだろうか?序列化が嫌なら最初からしなけりゃいいんだ!

今回の学力テストの結果は、お金も、時間も、労力もかかった、教育の現状に関する貴重なデータだ。あらゆる角度から分析し、次の教育の取り組みにつなげて、やっと元が取れるというものだろう。ところが文科省の言い方では、「まずいデータ作っちゃったなぁ」と言わんばかり。データの使い方もわからないようなお役所はいらない。わざわざ資料室に詰め込むための書類が作りたかったのなら、他の省庁から借りてこい!

公教育は、広く国民から徴収した税金で運営されている。子どもがいない私も税金を払い、間接的に公教育を支えている。この形には問題ない。だが、国民から委託された事業である以上、説明責任は存在する。各地域ごとにきちんと結果を発表し、成績がよかった学校は何がよかったのか。成績が悪かった学校は何が悪かったのか。そして、これからさらに教育の質を高めるために何をしていくのか。そこまでしっかり語って、納税者の信頼を得るのも公教育の仕事だと私は思う。

全国一斉に学力テストを行うことに賛否あるのはわかる。しかし、実施に踏み切ったのなら、その結果を最大限に活用すべきだ。全てのデータは民間はもとより、海外にも公開し、日本の教育を進めていく上での多様な研究に役立てるのが本筋。教育の世界も、霞ヶ関から地方・民間へ分権していくべきだ。もう文科省が旗を振って動かす時代じゃなくなったのだが…気づいてねぇんだろうなぁ。

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教師を辞めるとき

Gの光らないテレビを確かめるため、しばらくテレビをつけっぱなしにしていると、「夜回り先生」こと水谷修氏がしゃべっていた。私も著作を持っているが、子どもたちを取り巻く夜の現実と、そこから生まれる言葉はとても重い。ついつい聞き入ってしまった。

おそらく日本で一番有名な先生じゃないだろうか。これから教職を目指す若者からの相談も多いそうな。そんな先生の卵たちに、水谷先生は「ごめんなさい、が言えなくなったら教師を辞めなさい」とアドバイスするという。私は、違う人から同じようなアドバイスをいただいた。どうしても、教師の視点は上からになってしまいがち。間違っていれば謝る、何なら詳しい生徒から教わるくらいの気持ちでいいんじゃないだろうか。

私には、もう一つ戒めていることがある。それは、「自分の事を『先生』と言わない」ということ。私という人間は、「先生」という仕事が歩いているわけではない。「先生」というのは私が果たしている役割の一部分。そこを履き違えると、一職業人として失格だと思う。もし私が自分の事を「先生」と言い出したら、本当に辞めるつもりだ。

「先生」と「生徒」という関係は、基本的に授業中にのみ成立する。それ以外の場面では、純粋に人間同士のふれあいになるんじゃないだろうか。ただ、やっぱり「先生」は「生徒」を教え導こうとしてしまう。そうならないように、私は一人称に「私」を使う。ちゃんと1人の人間として向き合うために。

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「合格者水増し問題」の問題は?

大阪府の私立高校で発覚した合格者水増し問題。全ての高校を調査した結果、100校中31校で水増しが行われていることがわかった。で、前々から疑問なのだが、この問題は「行くつもりがない大学を受験させた」、「学校側が受験料を支払った」、「合格実績をかさ上げした」、などの中のどこに問題がある、という話なんだろうか。

「行くつもりがない」とはいえ、センター入試だけで合否がでるのなら、特に受験勉強をしたわけでもないだろう。生徒側に負担はあまりかからない。「学校側が支払った」受験料にしても、スポーツ特待生は授業料を負担しているわけだし。勉強とスポーツで区別するのはどうかと思うが。「合格実績をかさ上げした」とはいえ、合格実績=進路実績じゃないことは明白。保護者の方も鵜呑みにするのではなく、しっかり調べればわかりそうなものだ。

もちろん好ましからざる行為であることは事実だし、高校側は反省する必要がある。しかし、受け入れる大学も、進学する生徒も、生徒の保護者も易きについた気がするのは私だけだろうか。楽に生徒を集める方法も、楽に進学先を決める方法もない。このままでは、何か大事なものが忘れられていくような気がしてならない。

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合格者水増しから見えること

私立高校における合格者水増し事件は、さまざまな波紋を広げている。どうも学校側が受験料を負担して受験させていたのが問題のようだが、この問題の根っこは大学側の状況が変化したことの方が大きいと思う。

少子化した現代では、大学へ進学する人数もどんどん減っている。学生を確保するには多様な受験制度が必要、というのはわかる。しかし、今までなら1人が73学部・学科に合格するなんてことは、制度上不可能だったはずだ。ましてや、センター試験の結果だけで合否判定する、というのも納得できない。今の大学には、「こういう学生に来て欲しい」という理念がないのだろうか。

経済的合理性を追求するというのなら、学校法人なんてなくして全部株式会社にすればいい。現在の進学率を見るかぎり、高校の進路指導は大学を見ざるを得ない。大学が変わらないと、高校も変わらない。これからの大学に必要なものは、「研究・教育する覚悟」のような気がしてならない。

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一種の広告ですよ

職業柄か、ニュースはネットで拾い読みするのがくせになっている。ということでつらつら見ていたら、教育関係のニュースを見つけた。大阪のある私立高校が、1人の生徒に73の学部・学科を受験させ、「73人合格!」と宣伝したらしい。文部科学省が調査に入ったそうな。

他にできる生徒はいなかったのかよ、とつい突っ込みたくなってしまうが、どこの高校でもやっていることじゃないのかね。あんまり詳しくは書けないが、以前勤めていた高校では、よくできる生徒1人に対して2~3回受験させていたようだ。大学全入時代が迫り、大学側はあの手この手で学生を集めようとしている。やろうと思えば、今のほうが合格者の水増しはやりやすいはずだ。

経営が苦しいのは高校も同じ。特に私立は、進学実績が何よりのPRポイントとなってくる。保護者の皆さんは、提示された資料をよく見て、グラフや数字の大きさに惑わされないことだ。卒業生と延べ合格者数の比較、現役生とOBの実績の分離、などなどしていけば、実際の進学実績が浮かんでくるはずだ。

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宿題はたいへん

さて、そろそろ終業式も終わり、生徒たちは夏休みに入っている頃だと思う。高校の場合、1学期の期末試験が終われば、授業自体はないので、もうすでにだらけきっていることだとは思うけど(^_^;)

授業がないということで私も仕事がない。と思いきや、夏休みの宿題を考える、という課題があった。やる方はやる方で「だるい~」と思うが、作るほうは作るほうで「しんどい~」ものなのだ。特に今回はネットを活用しての出題・提出をやってみようと思ったので、準備に手間がかかった。うまく伝わっていればいいのだが。

ちなみに私は8月31日から夏休みの宿題に取り掛かる奴だった(苦笑)現役高校生の皆さんは、真似しないよーに。

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「飛べない」と「飛ばない」は違う

宮崎駿監督の映画は基本的に好きなんだけど、私は特に「紅の豚」が好きだ。誇り高く空に生きるかっこよさと、不器用にも見える優しさは、全ての男性のお手本じゃないだろうか。ただ、最近改めて見直してみると、有名な台詞を覚え間違えていたことに気づいた。

「飛ばない豚はただの豚だ」と自分の存在理由を語るシーン。私はこれまで、「飛べない豚はただの豚だ」と言っていると勘違いしていた。ポルコ・ロッソはできないことをやれ、と言ったんじゃない。できるのにやらない奴を「ただの豚」と切り捨てたのだ。このことに気づいてから、私は「紅の豚」がますます好きになった。

この夏、私はあるプロジェクトに取り組むことにした。8月末に成果を発表しなければならない。誰に強制されたわけでもないし、いつものようにだらだらと夏休みを過ごすのもありだと思う。それでも、チャンスがあるのなら、「飛べない」わけではないのなら、チャレンジしてみようと思う。それで撃墜されても、いい思い出になるはずだ。

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時間を守ってナンボ

今日の授業は、どうも時間を読みきれなかった。初めてやる内容の授業ではなかったのだが、少しはみ出してしまった。50分の授業時間を遵守する私としては、許されない失態。1学期最終盤にきて、少し疲れがたまってきたのだろうか?

中には、チャイムに無頓着だったり、授業を延長することに何も感じていないような先生もいる。残念ながら、私には理解できない。40人を相手に、50分で内容をきっちり伝えることが出来るから、私たちは教員免許を持っているはず。休み時間まで授業することが一種の情熱だ、と思っている方もいるようだが、私に言わせればそれは努力不足。時間内に収まるよう授業案を改良すればいいだけの話だ。

私の理想は、教室を出てドアを閉めた瞬間チャイムが鳴る、というタイミングだ。それくらい余裕を持って授業が出来るよう心がけている。だらだら長く接するよりも、短くてもてきぱき接するほうが生徒としてもいいと思うのだが…。こればっかりは生徒に聞いてみないとわからないね。

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期限がついて本当によくなる?

教育関連の法案が通過し、話題になっていた教員免許の更新制が実施されることになった。以前にも書いたとおり、私は更新制に賛成だ。ただし、実効性のある研修が行われるという前提で、だが。

教育の仕事に終わりはない。たゆまぬ自己研鑽が求められることに異論はない。しかし、本当に「免許に期限がないからあぐらをかいている」という理由で、今の教育はおかしくなったのだろうか?教師の質は落ちてしまったのだろうか?免許に期限をつければすべて解決、というわけではもちろんないと私は考えている。

一定期間ごとに、教師のスキルをチェックし、より力を伸ばしてもらえるような機会になるのかどうか。あんまり考えたくはないが、不適格な教師を排除できる仕組みになりうるのかどうか。すべては更新するときに何をするかにかかっている。ただ金と時間をかけるだけの研修ならまっぴらごめんだ。この問題は、現場に立つ教師の方から、内容に関する議論をリードすべきなのかもしれない。非常勤である私も、ぼちぼち考えてみることにする。

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かつての催眠術師は今

私の勤務校では、教科「情報」といえど座学での授業がある、というのをどこかで書いていたと思う。実習のときは、2時間連続のほうが集中してやりやすいと思うのだが、座学で2時間連続、というのは聞いている生徒はもちろん、教えている教師もなかなか体力を奪われる仕事になる。

かつての私は、教科書をそのまましゃべっているような、退屈な授業しかできなかった。自分ひとりが板書しながらしゃべっている状態で、ふと振り返ると机にうつぶせになっている生徒たちの頭がズラリ。起きている生徒は両手で十分だった。そのあまりにすさまじい効果に、「催眠術師に転職しようかなぁ」と本気でへこんだことを覚えている。

今日はすべて板書する授業だった。2時間連続で書き続けるしんどい授業だったにもかかわらず、ほとんどの生徒がちゃんと聞いていてくれた。私の授業スキルも少しは上がったのかな?それとも、今年の生徒たちが真面目なだけなのかな?

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騒音ですか?

私の勤務校では、この時期球技大会を行っている。6月ということで、梅雨空が心配なところではあるが、今年は雨も降らず、予定通り試合が行われた。普段から元気な生徒たちだが、スポーツになるとさらに元気。出場している生徒はもちろん、応援にまわった生徒たちも大きな声で応援していた。

ところで、現代の学校には、さまざまなクレームが持ち込まれている。言ってくるのは、何も通っている生徒の親だけではない。地域の住民の皆さんからも、いろいろ苦情は寄せられる。もちろん、生徒たちに非があるケースもある。でも、運動会や文化祭に「うるさい」というのはいかがなものか、と私は思う。

毎日うるさいのはもちろん問題だけど、せっかくのイベント。生徒も楽しみにしているので、その日くらいは勘弁してもらえないだろうか。元気な生徒たちの歓声を、微笑ましいものとして見守っていただくわけにはいかないだろうか。今は立派な大人でも、昔は運動会で楽しんでいた子どもだったはず。騒音ととらえず、若さの表れと受け取ってもらえれば幸いなのだが。

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板書の一日

今日は1時間目から4時間目まで板書しまくる授業の一日だった。おかげで4時間目の最後には、書いてる途中で筋肉痛がしたくらいだ。チョークにして丸2本分。文字数としてもかなりの量を書いたが、肝心の生徒にどれくらい伝わったか、というのは未知数。そこが情けないところなんだけど(苦笑)

普通教科「情報」には、板書のイメージはない。私も、講師を始めるまではコンピュータ教室で授業するものだと思っていた。説明するところは、パワーポイントなどを使ってやるものだと思っていた。ところがどっこい、新しい授業の板書案を考えている自分がいる。人生どうなるかはわからないものだ。

ただ、やってみて気づいたことだけど、板書も捨てたものではない。というか、授業するツールとしてはかなり優秀だと思う。準備したスライドを使うよりも自由度が高いし、ホワイトボードより書きやすい。汚れるのが欠点とはいえ、今ではむしろ板書のほうがやりやすかったりする。ま、楽だと思っているのは私だけで、汚い字を読まされている生徒にとってみれば、コンピュータ教室のほうがいいだろうけどね。

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声が出ない!

昨日、今日とどうも声の調子が悪い。思ったように声量が出ない。普段なら生徒のしゃべり声をねじ伏せるだけの声量があるんだけど、今は無理に出そうとすると咳き込んでしまう。別に風邪をひいたわけでもなし、原因は何だろう?

芸人ではないけれど、教師もしゃべってなんぼの商売。声が出ないと、まさに話にならない。聞いた話では、全く声が出ないとき板書だけで授業した、というレアケースもあるらしいが、できればそうはなりたくないところ。きちんと自分の声で語りかけることが、授業というコミュニケーションでは必要だと思う。

正直、私の発声はよくないと思う。声がこもっているというか、あまり前へ飛んでは行かない。授業の時はテンションを上げるのでそうでもないが、普段はかなり聞き取りにくいようだ。一度きちんとボイストレーニングを受けたほうがいいかもしれない。

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生徒としゃべる時間

今日は現役女子高生と楽しくおしゃべりした。…と書くと、何かすごくもてているような表現になるが、さにあらず。女子高で働いていれば、生徒としゃべらないほうがおかしい。ま、書いていて自分でもむなしくなってきたので、画面の前であんまり突っ込まないでくださいな。

どうも私の勤務校の生徒たちは人懐こい子が多いようで、いろいろ話しかけてくれる。授業中に関係ない話をするのは困るんだけど、中にはこちらが大爆笑してしまうくらい面白い話をしてくれる生徒も。多分、個人の性格だけではなく、伝統的にこの学校は先生と生徒の距離感が近いんだろう。今まで勤務してきた学校では、こんなことはなかった。

ただ、こんな風に生徒としゃべる時間があるのも、非常勤だからこそ。常勤・専任の先生方は、校務に追われている。本心は、もっと生徒と関わっていたいはず。生徒たちも、週1回授業するだけの講師より、毎日顔を合わせる先生方と接したいと思っているだろう。書類をあくせく作る時間より、授業を準備する時間、何より生徒と接する時間のほうが大事だと私は考えている。こんなことを言うと、一般企業で働く人にとっては「甘い!」とお叱りを受けるかもしれないが、もっと教育にお金と人手をかけて欲しい。生徒とくだらない話で盛り上がるのも、決して無駄ではないはずだから。

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教育実習の季節

1学期の中間考査と期末考査の間は、だいたいの学校が教育実習を行う時期になる。私が勤務している学校でも、フレッシュな実習生の姿を見かけるようになった。短い期間ではあるが、人生のいい経験になればなぁ、と思っている。

私の教育実習の記憶は、あまりいいものではない。今よりさらに未熟だったからだろう。担当した授業のあと、生徒たちに「つまらない」と吐き捨てられた。自分でもわかっていたけど、やっぱり落ち込んだ。就職活動も平行してやっていたので、この仕事は向いてない、別の仕事に就こうと本気で思った。

そんな私が今、教壇に立って授業している。立ち直るきっかけをくれたのも、やっぱり生徒だった。別の場所でパソコン実習の助手をしていたのだが、そこで教育実習に行っていたことを話すと、一人が「このクラスにも来て欲しかったなぁ」とポツリともらした。本人にそんなつもりはなかっただろうけど、泣きそうになるくらいうれしかった。たった一人でも、誰かに認めてもらえれば、人は生きていける。授業案の作り方は身につかなかったけど、大事なことを教育実習は教えてくれた。

私が別の学校で非常勤として働くことを告げると、その生徒は「先生、がんばれよー!!」と大声で叫んで教室へ帰っていった。その声は、今でも心に残っている。短いようで長い実習期間。生徒も実習生も、お互いにいい出会いになれば、それだけでも価値があるんじゃないだろうか。ただ、私の授業を見学に来るのは勘弁して欲しい。胃がキリキリしてくるので(苦笑

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負け癖をつける

私自身が好きだということもあり、囲碁・将棋を義務教育に導入すべし、という意見には基本的に賛成だ。実際、将棋を指すことで論理的に物事を考えることができるようになった。無限に思えるほど多い将棋の合法手の中から、局面をリードする一手は何か。ここでしっかり考え抜いた経験は、必ず違う場面でも生かされるはずだ。

今日の日本経済新聞でも、日本総合研究所の湯元健治氏が囲碁・将棋の効用を主張されている。上記のような内容は、誰でも思いつくもの。湯本氏の主張で興味深いのは、このようなゲームから「負け癖」をつけるべきだ、という部分。何かと「勝ち組」がもてはやされる中、あえて負ける経験の重要性を指摘され、とても納得した。

今「勝ち組」と呼ばれる人たちも、ある瞬間では負けていたかもしれない。もし負けたまま何もしなければ、その人はずっと「負け組」なのだろう。しかし、そこでへこたれずに挑戦し続けたからこそ、「勝ち」を手にすることができたのではないだろうか。「勝ち組」になりたいのなら、負けてなお立ち上がる精神力こそ必要なのかもしれない。

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土曜の授業復活?

公立の小中高校で、現在休みになっている土曜日を月2回正規授業日とする報告を、政府の教育再生会議がまとめるようだ。実現すれば、これまで進められてきた「ゆとり教育」の大きな見直しとなる。公立の先生方にとっては大きなニュースなのかもしれないが、私立の非常勤である私にとってはあまり生活に変化はない。今も、土曜日に授業をしているのでね。

「ゆとり教育」の全てが間違っていたとは思わない。しかし、卒業生が進む大学の門が今までと同じようなハードルとして存在している以上、いくら「ゆとり」を訴えても現実的な意見とは感じられなかった。もし本当に小中高校でゆとりある教育を行うのなら、大学を「入学しやすく卒業しにくい」アメリカ型の仕組みにすべきだったと私は考えている。

2002年から始まった学校週5日制。5年目にして疑問符がつけられることになった。さて、「ゆとり教育」を先導した人たちは、どのように責任を取ってくれるのだろうか。それと、参院選用のアドバルーンはもういらない。資源のない日本が世界で生き抜くための人材を、いかに育てるのか。確かな道筋を示して欲しい。

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「わたくし」だからこそ

この仕事をしていると、だいたい「公立高校の教員採用試験を受けないの?」という質問がやってくる。だいたいごまかすようにしているが、基本的に私は公立高校で教える気にはならない。それは、公立高校が劣っているとか、私立高校が優れているという問題ではなく、単純に私の気質による。

公立学校の先生は、教育公務員という地位を保証された仕事である。一度なってしまえば、よほどのことがない限りやめさせられることはない。給料も、年齢を経るにしたがって増えていく。とてもいい待遇なんだけど、私には向いていないのだ。

基本的に私は、お尻を叩かれないと走らない怠惰な人間なので(苦笑 補助金が入っているとはいえ、生徒や保護者からの視線を感じつつ仕事をした方が、私にとってはプラスが大きい。私立の学校が淘汰される時代だからこそ、淘汰されない自分でいたい。それくらい追い込んでおかないと、この男は働かないのでね。

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授業プロデューサー

「トップランナー」に出ている劇団ひとり氏を見ていると、自分と似ているところがあるなぁ、と改めて思った。元々ネクラなところとか共通していると思っていたけど、ネタに対するとらえ方でとても共感できる発言があった。それは、「やるより作るほうが好き」ということ。

私も、授業は実際にしている時より考えている時の方が好きだし、向いていると思う。ただ、自分でいくらいい授業だと思っていても、誰かにやってもらおうとするとどうしても違いが生まれる。意図したとおり100%やるには、自分でやるしかないよねぇ、というところから、自分で授業している。もし許されるなら、授業プロデューサーでもいいくらいだ。

実際に生徒の前に立つのも面白いことだけど、授業を一人で組み立てていく時間も決して悪くはない。…ね、劇団ひとりと私は似てるでしょ?(^_^;)

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リテラシーの変化

私は4年前から情報科の講師として働いているわけだが、この4年間でも生徒のスキルは変化している。かつては、「クリック」「ダブルクリック」のやり方から説明しないと進めなかったものだが、今ではワードやエクセルでも詳しい説明抜きでどんどん操作している。義務教育段階での情報教育が、だいぶ行き渡ってきたのだろう。

高校段階で授業する私にとっては、大変楽になったのだが、その一方で問題も発生する。今までは、高校でワードやエクセルを扱っていればよかった。ところが、今は中学でやっている。将来的には小学校でも情報教育が広がるだろう。そうなった場合、高校や大学でどんな内容を積み上げていくのか。まだその方向性は固まっていない。

リテラシーが向上すれば、教育の最終目的地も変わってくる。その一方で、情報関係の授業内容は、担当教員に左右される傾向がある。義務教育と大学教育をつなぐ教育として、また必修科目である情報科を実施する学校として、高校教育のおける情報科の方向性を考える必要があると私は考えている。

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学力テストとプライバシー

もうすぐ文部科学省が行う「全国学力・学習状況調査」で、調査内容がプライバシーの侵害に当たるとして実施を中止するよう求める訴えがあった。確かに、学習環境の名前で家庭環境について調べられたら、プライバシーにあたるのかもしれない。

現場にいるものとしては、この手の調査結果がとても欲しいのは事実。日本は、教育に関する統計データがあまり出てこない。教育の成果は、今回のような学力テストや調査を綿密に分析して得られるもの。感覚的に議論するものではない。例えば、百ます計算で有名な陰山英男氏は、独自に調査を行い、朝食の有無と学力の関係について主張されている。正しいかどうかはともかく、数字で議論することが重要だと、私は考えている。無事実施されることを祈るばかり。

そういえば、申し立ての中で情報を民間業者に委託するのが問題、という主張があったが、逆に公務員に任せるほうが怖い気がするんだけど…。自衛隊という軍事機密の最前線ですら、情報だだ漏れなんだから。その点、文科省はよくわかってるから民間に任せたのかな(-_-;)

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ご心配おかけします

やっぱりという感じが強いけど、今教育が大きな問題になっている、というのがこの国の皆さんの感想のようで。非常勤とはいえ、現場に立つ者の端くれ。何とかしないと、とも思うし、何ができるのか、という思いもある。

日本の教育はこうあるべきだ、なんて大上段に構えるのも時には必要だけど、とりあえず目の前の生徒たちと関わることが先決だ。私は教育評論家ではなく、情報科非常勤講師なのだから。

もう2007年度は動き出している。また一年、授業に頭を悩ませる覚悟もできている。私は授業で生徒たちと接するので、保護者の方、地域の年長者の皆さんも、さまざまなスタンスで児童・生徒たちと接していただけると幸いである。

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